オ(ッサン)散歩イスくん

他人を自分に理解しやすいように型に押し込める時の「枠」というものは、どういうわけだか生来のものに因ることが多い。
「ギーヴってさぁ〜、束縛とか嫌いそうだよねぇ〜」
血液型だとか、生年月日だとか。占いもそこに根拠を求めるのは、きっと「本当の自分」「本当の相手」というものがあると信じるからだろう。
「わかる。するのもされるのも嫌いそう」
獲得した形質はいつか失われるかもしれないが、生まれ持った性質は変わらないと信じたいのだ、きっと。
「でもDomっぽい雰囲気あるよね、ちがう?」
口も頭も尻も軽そうな女たちは、自信に満ちた笑みを浮かべてギーヴを取り囲んだ。

 

 いい月が出ていた。いい風が吹いていた。
 それだけでいくらか気分が良くなって、ギーヴは深夜にもかかわらず家路とは逆方向へ爪先を向けた。
 そうして気付けば、まるで電灯に誘われる羽虫のように繁華街へとたどり着いていた。酔いの残る頭で行き先を決めずに歩いたからだろう。
 この辺りはあまり来ることがない。大学とも離れているし、普段使っている駅の向こう側ということもある。
 とはいえ繁華街などどこへ行っても似たようなもので、あまり目新しさはない。目につくようになった酔漢や客引きも見慣れた風景だ。
 歩き始めたときの高揚はどこへやら、変わり映えのない景色に気分は沈んでいた。
「……戻るか」
 せめて人通りの少ない道を行こうと、線路脇の表に比べればいくらかうす暗い横道へ足を踏み入れた。
 今は何時だ。
 ポケットを探ってスマホを取り出せば画面には02:47の文字。ふぅ、と息を吐いた。そのまま届いていた通知からいくつかのSNSとメールに返信する。それも終えると、特段の目的もないままSNSを開いてスイスイと流し見しながら歩いた。
 風が道脇の雑草を撫でる。前髪を揺らす夜風に気づいてふと顔を上げた。そういえば、風が気持ちよくて歩き始めたのだった。いそいそとスマホをポケットにしまいこみ、上向き始めた気分のまま、縁石に飛び乗り歩く。
 ちゃり、と音がした。金属同士が触れ合うようなそれ。自分からではない。
 歩みを止めぬままそれとなく前方の暗がりに目を凝らした。
 ちゃり、ちゃり、と音はギーヴの方に向かって規則的に近づいてくる。鎖の音だ、と直感した。
 こんな時間に散歩か。変なやつ。
 ほどなくして「変なやつ」が道脇の電灯に照らされて姿を現わす。シンプルなTシャツにデニムを着た男。手には下に向かって伸びる鎖を持っていて、首のうえにはずいぶんと見知った顔が乗っかっていた。
「やぁ、…………おい」
 朗らかにかけた声が数拍おいて地を這うほど低くなったのは、それが散歩しているものに気づいたからである。
 なんだあれなんだあれ、なんだあれ!
 最初は大型犬を散歩しているものだと思い込んでいた。二頭飼っているというのは以前より知るところである。だが、それは犬よりも鈍重な動きで、かつひどく下手くそな四つん這いを披露している。楽しそうに揺れる耳も、はしゃいで振られる尻尾もない。それはびよびよに襟首の伸びた薄汚いタンクトップを着て、膝下までの七分丈のズボンを履いて、必死に男の歩みについていく。その首を彩るのは鮮やかなブルーの首輪。もちろんそこから伸びる鎖は男の手につながっている。
 どこからどう見ても、世間一般的に「おっさん」と呼ばれる生き物を、男は散歩していた。
 一気に酔いが醒めた。いや、むしろ酔いすぎたせいでいつの間にか寝入ってしまったのか?むしろそうであってほしい。これが悪夢でなくてなんだというのだ。
 祈るようにしてつねった腕は当たり前のように痛くて涙が出そうだ。無論痛みのせいではない。
 そうこうしているうちに、その奇妙な二人連れが目の前に来てしまった。驚愕に立ち止まってしまったギーヴの目の前で、男も立ち止まる。
「タロウ、おすわり」
「は?」
 男が短く命じると、おっさん──タロウというらしい──が従順に犬座りをする。いい子だな。それに満足げな笑みを浮かべ、男はタロウの頭をわしゃわしゃと撫でた。
 勘弁してほしい。
「ずいぶん健康的だな、イ」「っと待った!」「?」
「今の俺は、『ザンデ』だ」
「は?」
「『ザンデ』」
「あ〜…………ウン」
 イスファーン、と男の名を呼ぼうとすると遮られ、別の知人の名を名乗る。源氏名みたいなものだろう、たぶん。そんなことに他人の名前を使うなと言いたいが。
 そうして、従順に待っている『タロウ』を瞥見した『ザンデ』は肩をすくめた。
「悪いが、今仕事中なんだ。話があるなら後日にしてくれ」
良い子にできたな、よくやった、それじゃ行こうか、おいで。
 ザンデは聞いたことのない優しい声をおっさんにかける。チャリ、と持ち上げられて鳴いた鎖がこれは夢ではないのだと戒めるように、電灯の光を鈍く弾いた。そして二人……一人と一匹、は踵を返して闇に溶け込んで消えた。
 指先が、確かめなくてもわかるほど冷えきっていた。

次にイスファーンと会ったのは、それから二日後の昼のことだった、
「この前の、えらく早いお散歩のことだけど」
「ああ……」
動揺した様子もなく、派手な字で「メガサイズ」と書かれたカップ麺に湯を注いでいる。
「場所を変えよう」
「おれはここでも一向に構わないが」
「お前は目立つから。囲まれたりすると面倒だろ」
返事を待たず、カップ麺を持ったままイスファーンが歩き出すので、ギーヴも着いていく。空き教室にでも入るのかと思えば、外の非常階段脇にひっそりと設えられた喫煙所にするりと入り込む。
「よくこんなとこ知ってるな」
「一年のとき、先輩に教えてもらった」
「ふぅん」
「んで、この前の夜のことだよな」
「あの時間を夜とは思ってるわけだ。いや、悪いとは言わないさ、お前の親兄弟なんかじゃないからな。ただ、品行方正なお前にしちゃずいぶん遅くまで『お仕事』してると思って」
「そう、仕事だ。アルバイトってやつ。大学生なら誰でも、お前だってやってるだろ」
「まあね、」

「でもさすがにおっさんを散歩するバイトってのは初めて見た

無言ですい、とスマホを操作する。数秒遅れてギーヴのスマホがブブと震えて何かを受信したことを通知した。
イスファーンが無言のまま顎で示す。
画面を見れば、チャットアプリにメッセージが届いたことを通知するものだった。送り主は目の前の男。
アプリを立ち上げて見てみると、コメントもなにもなく、ただどこかのサイトのURLだけが送られた、簡素なメッセージが届いていた。訝しみながらリンクをタップする。
《あなたは18歳以上ですか?》
「おいふざてんのか。今更オカズになんか困っちゃいないぞ」
呆れ 凪いだ顔で平然と壁に凭れて立つ男を
「いいから」
間違いではないらしい。《はい》をタップし、適当に生年月日を入力すると、画面が遷移した。
《あなた好みの飼い主見つかる!》
そんな見出しの下にずらっと並んだ顔写真と短い紹介文。
なんだこれは。
「風俗かなんかかよ」
その問いに答えず、イスファーンはスマホの画面を見ている。
「さっき17分だったから……、これができるまで」
手に持ったカップ麺を軽く持ち上げた。
「今から3分の間なら質問に答える。なんでも」
「……勝手に決めるなよ」
「別に、答えなきゃいけない義務があるわけでもない。この場で帰ってもいいんだ。訊きたいことがあるのはそっちだろあと2分半」
人間というのは不思議にできていて、その気がなくても、カウントダウンされると尻を叩かれた馬のように、そうしたくもないのに走り始めてしまう。
「これがお前のバイト先?」問いながらスクロールしてサイトを眺める。
「うん」
「いつから?」
「3ヶ月前」
結構経ってんじゃねぇか。
「騙されたりした? なんか高そうなもの壊したり?」
「きっかけの話?」
「そう。わざわざ調べなきゃこんなところ辿りつかないだろうよ」
「……自分の意思」
一瞬言い淀んだな。だがあえてそこには触れずに質問を続ける。
「お前どこに載ってんの」
イスファーンがスマホを逆から覗き込んだ。尻尾とよく揶揄されている毛先が肩口から滑り落ちた。
「もうちょい下行って……そこ、これ」
「ランク入りしてんのかよ、ウケるな」
証明写真そのまま使ったのではなかろうか。目の前にあるのと同じ無愛想な顔に淡色一色の背景。もちろん名前は《ザンデ》となっていて、その下には《人気第4位!!!》の文字がデカデカと踊っている。
あ〜〜〜〜。ホントにここで働いてるんだ。
トップじゃなくて、でもそこそこな順位を獲ってるところが逆にリアルで、心底気持ち悪いなと思った。

「んでこれ、どういうこと?」
「書いてあるとおりの意味。わからない?」

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