それからというもの、わたしは暇があればからくり箱に手を伸ばしていた。
「ずいぶん熱心だな」
「はい。ぜったい自力で解くんですから、ナルサスさまはわたしに答えを教えないでくださいね」
ぜったいですよ、と念押して言うと、「わかったよ」と肩をすくめる
からくり、とは言っても、それほど複雑なしかけではないことはこれまででわかっている。ただ正しい手順で面をずらせばいいだけなのだが、ナルサスさまが作られただけあって、ひっかけも数多く散りばめられている。今の所、八回ずらすところまではできるようになった。そこまでの手順は確定としてよいはずなのだが、それより先がなかなか見つけられずに、今日も箱をいじくり回している。
「手がかりは必要かな?」
「いりませんっ!これは、自力で解くんです!」
ちょいちょいと伸ばされた指を避けて箱を頭の上に掲げるとナルサスさまはからからと笑う。
きっとナルサスさまなら、これを作ったのが他人であっても数日とかからずに解いてしまうのだろう。ため息をついてずらした面を全て戻すと、また始めからやり直す。
ひとつ、ふたつ、みっつ……よっつ、いつつ……
ナルサスさまの視線を感じる。
むっつ、ななつ、やっつ………………
手が止まる。どこか動くところはないかと手当たり次第に押してみるが、今回もここで止まってしまった。
「ああ、そこか。そこはね」
「ナールーサースーさーまー!」
「いやいや、親切心からだよ」
なにせ最近はそれにかかりっきりで構ってもらえないものだから。はやく解いてしまえばいいと思って。衒いなくナルサスさまは言う。わたしはまた箱を元に戻し始めた。
「大人げないですよ。それより、見られているとうまくいく気がしないのでわたしは向こうへ行きますね」
手元に視線を落としたまま一気に言い切った。そうして返事を聞くよりはやく部屋を辞して自室に戻ると、閉じた扉に背中をつけてずるずると座り込んだ。
必死で抑えつけていた頬がじわじわと持ち上がってしまう。熱が出た時のように目が内側から火照る感じがして、手の甲を顔に当ててみたらずいぶんと手が冷たく感じた。これは確実に顔が赤くなっている。ナルサスさまの前で我慢できていただろうか。
あんな言い方、ずるい。
はーっと湿った息を吐き出して立ち上がり、わたしの背丈にちょうどよく誂えられた椅子に座る。呼吸を落ち着けて、箱を手に取り面をずらしていく。
ひとつ、ふたつ、みっつ……よっつ、いつつ……
むっつ、ななつ、やっつ………………ここのつ。
目を瞬く。どうしたことだろう。これまで進めなかった八回より先にするりと進めた。直感の囁くままおずおずと指を動かす。
とお……じゅういち…………じゅうに。
「ふーっ……」
とうとう詰まっていた息を吐いた。心臓がどこどことうるさい。指先が細かく震えて箱を取り落としそうだった。知らず浅くなっていた呼吸を意識してゆっくり深くして、まぶたをぎゅっとおろした。夢かもしれない。あんまりにもこの箱のしかけを解くことに夢中になっているからこんな夢を見ているのかも。けれども、おそるおそるまぶたを持ち上げた先にあったのは目を瞑る前と同じ光景だ。
まだかたかたと震えている指をゆっくり箱に添わせて面をずらす。
…………じゅうさん。
ナルサスさまは、何を考えてこんなものを作ったのだろう。単なる新しい娯楽のためならここまで手間暇をかける必要もないと思う。謎かけでも、盤上遊戯でも、狩りでも、ナルサスさまのもたらすものならなんだってわたしは喜んだはずだ。
………………じゅうよん。
きっと次でこの箱は開く。逆に、今日いまこの時開かないのならば、この先ずっと開くことはないだろう。そんな霊感じみた確信があった。
畏れに似た気持ちで指を角に引っ掛けて、ゆっくりと力を込める。動く。音もなく。ずれる。ずれる。ずれる。かたり。蓋がはずれる。じゅうご。──箱が、開いた。
酩酊に似たここちよい達成感が体を満たす。ふわふわした頭のまま、従順に腹の中を曝け出している箱を見下ろした。
愚かにも、箱を開けることに躍起になっていて何を入れるか全く考えていなかった。目的と手段を見誤るな、とナルサスさまならおっしゃるだろう。ぐるりと部屋を見渡す。儀礼用のパルス文字の手本として渡されていた系図が目にとまった。からくり箱を渡されたあの日に使っていたものだ。
「宝箱は、中に宝が入っているから、宝箱……」
わたしにとっての宝とは。
わたしが死んだら、あの箱も一緒に墓に入れてもらうつもりだ。ナルサスさまに頼んでおけば、抜かりなく、よいように計らってくれるだろう。
箱はバシュル山のあの家に置いてある。ナルサスさまとわたし、二人だけのものだったあの家に。結局どうしたってわたしの世界はいつもナルサスさまから始まるのだ。だから、能うことなら終わりも一緒がいい、なんて。本人を連れて行くことなんでできないから、せめて代わりにあれを連れて行くのだ。
ああでも、ナルサスさまなら系図の端から一人の人間の名前が消えていることに気がつくんだろうな。それでもきっと、見ないふりをしてくれるに違いない。あの人は案外わたしに甘いから。
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