宝箱 - 2/3

 机の上に乱雑に散らばったあれやこれやに窓から日が差し込んでいる。光の帯の中でほこりがちらちらと光って見えるのでわたしはむずむずと落ち着かない気持ちになって体を揺らした。片付けたい。きれいにしたい。けれども今はナルサスさまに教えを享けている時間だから、それを放って掃除に勤しむなど到底無理な話だった。それに、わたしの尻のすわりが悪いのにはもう一つ理由がある。
「どうしたエラム、まだ気にしているのか」
「いえ……はい」
 そわそわと身動ぎするのを見咎められて俯く。とたん視界に入り込むのは、まだ棒切れのように細いわたしの足とその下に積まれたクッションだ。ああ、情けない。
「そう落ち込むなって」
 隣のナルサスさまが忍び笑いをもらした。
 机に向かうにあたって、ひとつ問題があった。大きいといえば大きくて、小さいといえば小さい問題。わたしの背丈が足りなかったのだ。行儀悪く椅子に膝立ちになってようやく机を覗き込むわたしを見て、ナルサスさまは目をぱちくりとさせ「ああ、そうか」とつぶやいた。
この人里離れた山中、あらたな出来合いの椅子がすぐ手に入るわけはないので、わたしは床でじゅうぶんですよ、と言ったのだが、ナルサスさまはさっさとご自分の部屋からクッションをいくつか抱えて持ってきてしまった。
「じきに春とはいえ、まだ床は冷たいだろう」
 ほら、と用意されたクッションは豪奢な織と精緻な刺繍が施されていて、そこにわたしの尻を乗っけるのはいくらなんでもとてもできそうにないと、言おうとして、いたの、だが、……。おそらく、顔が言葉よりも雄弁に物語ってしまっていたのだろう。少し圧を感じないでもないにこやかな顔をしたナルサスさまが、わたしに何も言わせないうちに、さっと子猫を抱き上げるようにして持ち上げてクッションの上におろしてしまった。
「なべて物は活用してこそだ、エラム。死蔵など以ての外」
 はい。まったくその通りでございます。わたしはこっくりと頷いた。
 そんなわけで据わりの悪い尻をなんとか据え付けてしていることというのが手習いだった。といっても普通のパルス文字ではなく、儀礼用にたくさんのヒゲや長い脚の生えた飾り文字である。
机の上に身を延べているのは高級羊皮紙たちで、丸めて保管されていたそれらは隙を見せるとすぐに背を丸めてしまうので様々なものを文鎮がわりに置いていた。だから机の上が散らかって見えるのだった。実際、講釈の間に色々な文献を持ち出すナルサスさまの癖のせいで必要以上に物が出ているのだから、「散らかって見える」ではなく「散らかっている」といってよいだろう。
丸まる端を手繰って押さえつけて、じっと見つめながら隣に並べた紙に同じように書き写していく。ようやく端まで終えてほっと息を吐き出すと隣でなにやら細々と工作じみたことをしていたナルサスさまが顔をあげる。
「進み具合はどうだい」
「はい、パルス王朝の系図が写し終わりました」
「では次のにしようか……これはどうかな?」
 机の端に寄せて積まれていた山からひょいと取り上げた巻物を渡される。手にとって試しに少し広げてみるとこちらもやはり系図のようである。
「どちらの家のものでしょうか」
「あててごらん」
 これまでに習った歴史上の人物の名前を見つけよう。紐を解いて机の上に広げると、しるると衣摺れに似た音を立てて乳色の紙がいちめんに現れる。
「……あっ」
 ひとわたり見渡した乳の海のいちばん端、そこに見間違えるはずもない文字が記されている。どの言語でもどの文字でもわたしがいつもいちばん初めに教えてとせがむ、はじまりの記号。
「ナルサスさま!」
「正解」
 やんわりと唇のはしを持ち上げてナルサスさまが笑む。嬉しかったはずなのに、そこになんとも言い表しがたい感情を見つけた気がしてわたしは視線を落とした。系図の端のナルサスさま。続きなどないよと言わんばかりに、紙はそこですぱりと裁ち落とされている。元からそこで終わる紙だったのか、あるいは何者かが切ったのかはわからない。ただ、わたしにとってのすべての始まりは、この家にとっては終わりだと言われているようでどうにもやるせない。
 わたしの悄気た様子に気づいたのか、ナルサスさまはざっかけない手つきでわたしの髪の毛を掻き回した。
「では、また上から読みつつ書き写していくとしよう」
「はい! あ、お手本ここに書いてください!」

 しばらくそうしているうちに、日が傾いて手元が見えにくくなり、わたしはそろそろ夕餉の支度を調えなければ、と顔を上げた。それを待っていたかのように、ナルサスさまが作業していた手を止めて、何かをわたしに向かって差し出した。
「思いつきで作ってみたんだ」
「何をされているのか、ずっと気になっていました。何を作ったんですか?」
「なんだと思う?」
「箱、に見えます」
 わたしの両手を並べた手のひらに乗るくらいの、小さめの木箱のようだった。ただしどの面もぴったりとくっついていて、蓋を開けて中に物を入れることはできそうにない。
「では質問だ。『箱』とはなにか」
「『箱』とは……」
 手のひらに乗る箱のような何かに目を凝らす。指を這わせばその表面は滑らかでぬくみさえ感じられそうなほどである。赤子の頬に滑らせても問題ないほど丁寧にやすりがけしてあった。
「物を入れるための容れ物、器のことではないでしょうか」
 迷いつつ答えるとナルサスは無言のままひとつ頷いた。次の言葉がないということは、もっと考えろということだろうか。
 木箱と思ったのは手に乗せた時の重さが案外軽く、中が空洞になっていると推測したからだが、中に物を入れられないとなれば、これが箱であるというのは誤りになる。
 矯めつ眇めつ撫で回しているうちに、面のふちに引っかけた指が期せずして滑らかに動いた。押された面の一部が指二本分ほど横にずれて止まる。それ以上は押しても動かない。
「うーん?」
 壊れているのかとずれた隙間から中を覗いてみると、そこにはまだ壁があった。へこみとでっぱりとへこみとが複雑器用に組み合わさってわたしに腹のうちを見せまいとする木の壁が。まるでナルサスさまのようだ。見た目よりも複雑怪奇な中身をして底が見えない。だけれども、ひとつ決定的に違う点がある。それは、ナルサスさまはけっしてこの両手におさまるような方ではない、ということだ。
 ずれた面を押し戻す。大人しい佇まいの木箱に元通りしたそれを手に師の目を見つめた。
「からくり仕掛けの箱、だと思います」
「半分正解。新しいおもちゃだよ、エラム。ここに大した娯楽はないからね」
 まあこんなものより先に椅子を作ればよかったのだが、と肩をすくめる。
「残りの半分はなんですか?」
 伸びてきたナルサスさまの手の上に箱を乗せようとしたが、するりと躱されて行き場のなくなったわたしの手が空中をさまよう。
「これは確かにからくり箱だ、今はまだ。だけど箱の価値というのは中に何が入っているかによって変わる」
「あの」
「宝箱は箱が財宝なのではなく、中に宝が入っているから宝箱なのだ」
「あの」
「だからそういう意味で、半分。この箱は〝今はまだ〟からくり箱だが、中に入れた物によっていくらでも変わる」
「ナルサスさま、箱についてよくわかりました。わかりましたから、ほっぺたを、もちもちするのをやめてください」
 好き勝手していた手が止まる。そのまま離れていくかと思いきや、ひんやりと冷たい指先はわたしの両方の頬を摘んで伸ばす。
「あまりにもちふわだから何が入っているのかと思ってな」
「ふぁルサふさまとふぉなじもののはふでふ」
「そんなはずはない。触ってみればわかる、ほら」
 ナルサスさまは髪を肩の後ろへよけて頬を差し出す。すこし頬骨の形の見える輪郭はわたしのそれとは異なっている。見た目も、たしかにもちもちというよりすべすべな感じに見える。
「ほら」
 固まって動かなくなったわたしを促すようにナルサスさまがもう一段階身を寄せた。
ほんとうに触ってよいのだろうか。からかっているんじゃないだろうか。
「で、では、失礼します」
 散々迷って悩んだすえに手を伸ばしたその時、腹の虫が鳴った。近くにいたナルサスさまにも聞こえてしまっていたようで、ナルサスさまは軽く噴き出してあっけなく身を起こしてしまった。
「そういえばそんな時間だったな、今日の夕餉はなんの予定だい」
「……魚を」
 羞恥心と戦っていたせいでなにを拵える予定だったか思い出すのにやや時間を要した。
「魚か……」ナルサスさまが嘆息してもう一度呟く。「魚ね」
「なにかまずかったでしょうか」
「いや」
 いや? 明らかに何かある感じの反応だった。違うものがよいのであれば変えるから是非にも教えてほしい。蓄えている食材の中から、すぐに用意できそうな魚を使わない料理をいくつか脳裏に思い描きながら次の言葉を待つ。
「なにも悪くない。ただ、」
「ただ?」
 さっきからやけにもったいぶるなと思いながらも、ナルサスさまの言葉尻をとらえてきき返す。
「いや。まだ秘密にしておこう」
「ええ!?」
「わざわざ献立を変える必要はないよ」
 ナルサスさまが立ち上がる。扉の前で半身だけふりかえって「その箱、開けられたらエラムの好きなものを入れるといい。なんでもいいよ」と笑った。
「開けられたらの話だけど」
 やってやろうではないか。
 わたしの心に火がついた瞬間だった。

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