弔い合戦

人柄というのは何も、本人との付き合いだけに表れるものではない、と手にした槍を見下ろしながらクバードは思った。

練兵場にはさまざまな形状の武器が用意してある。それは、己にあった武器を見つけるためでもあるし、多種多様な相手に対応するためでもあった。長柄から飛び道具、一風変わった暗器じみたものまで。
むろん歩兵程度は一律同規格のものを支給されるのだが、職業軍人であり兵の命を預かる将兵たちは個人的に武具を誂えている。武功をあげれば褒美が出るし、豪遊などせねば良いはがねや希少な素材を使った、自分の武器を作らせることくらいはできた。
武器が、手足の延長のように扱えるようになるまで鍛錬せよと、上官は言う。身体の一部であるかのように、自由に。それができねば死ぬだけだ。だから、いつでも練兵場は解放されている。手合わせをする兵士たち、適当な木材を相手にひたすら打ち込む者、的の狙った位置に矢が当たらず肩を落とす新人。ここは静けさとは無縁の場所だ。

そんな練兵場の隅に腰を下ろしていたのはシャプールだった。入り口に背を向け、手元を真剣に見つめて作業をしている。どうやら毎朝ここにいるらしい、と一見して知れる程度には光景にしっくりと馴染んでいる。
むしろ馴染んでいないのはクバードの方だ。先ほどからぎょっとした顔をされたり、ちらちらと視線を寄越されていれば、己が珍客でありシャプールはそうでないのだと容易に想像がつく。
兵士たちの反応は正しい。そう思えるほど、クバードはこの時間に練兵場を訪れたことがなかった。
「おう」
背後をとって、頭上から声をかければ、驚きを隠さない顔で見上げられた。常の渓谷は平たく均されている。周りの兵士たちとそう変わらない反応に、クバードの頬がつい持ち上がる。
鬱憤の発散、とでも言おうか。ここには、酒を飲んでも晴れない燻りを振り払うためにやってきた。
昨晩のクバードは、溜めていた書類の山を「更地にするまで返しません(帰しません、だったのかもしれない)」と副官に酒を取り上げられ、ほぼ徹夜をする羽目になった。
普段使わない部分の脳を使ったからか、目が冴えて眠れそうもない。体を動かせば無心になって、この妙な気分も振り払えるだろう。そうして疲れたら泥のように寝てやる。そう考えて草木が朝露に湿る、まだ朝早い時間に練兵場に足を運んだ。
「……珍しいな」
「ちょいと山を崩してきてな。いやぁ骨が折れたわ」
嘘は言っていない。書簡の山を更地にしたのだから。わざとらしく肩を回し、ぱきぱきと骨を鳴らしてみせると、シャプールはすでに刻みなおされていた眉間の渓谷をさらに険しくした。なにせ目の前にいるのは「ほらふき」と名高いクバードだ。
何度か雪崩も起きた、と付け加えるか一瞬迷ったが、それはやめてシャプールの手元に視線を走らせた。
「何をしておったのだ?」
つい癖で軽口を叩いたが、追及されるとまた面倒な小言をくらいそうな話題でもあった。そうなる前に矛先をずらしておくに限る。
「槍を研いでいた」
そう言って明かりの下に掲げられた槍は、まだ研ぎ終えていないのだろう。所々血錆て黒ずんでいた。
「研ぎ師に出せばよいのでは?」
クバードがそう言い終わる前に盛大なため息を吐かれた。
「おぬしは自分の爪を他人に研がせるのか?」
確かに、軍に入ってすぐ、武器を己の手足とせよと教わるが。
「その言でいけば研ぎ師は爪切りの専門家だろう。任せてなにが悪いのだ」
「確かに、ある程度までは信用できよう。少なくとも、素人に任せるよりは。だが、人には癖というものがある。利き手もある種の癖だ。歩き出すときに無意識に出す足はどちらか。槍を使うとき馬上か陸上か、突くのと払うのと斬り下ろすの、どれを多くやるのか。そういったことを一番わかっているのは自分自身だ」「あーわかったわかった」
声と手、どちらも使って怒涛の勢いを押し留めた。遮られたシャプールは些か不満そうに腕組みをしたが、おぬしには何を言っても徒労か、と呟いて、どうやら諦めたようだった。
「その通りだ」
「胸を張るな」
すかさず、ぎっと睨み上げられて苦笑する。シャプールの調練といえばおそろしいと有名だ。兵士いわく叱責より、その顔がなにより恐ろしいのだと。険しい顔をしているうちはまだいい。その顔面から一切の表情が抜け落ちた瞬間、心臓が凍える心地がするのだと言っていた。
それに比べれば、まだ睨まれているうちはなんということもない。
「一本、どうだ?」
せっかく万騎長が二人も練兵場にいるのだ。クバードはそう言いながら右手を伸ばして、壁にかけられていた大剣を手に取った。刃引きされているが問題は無い。
クバードの戦い方は巧緻を極めるというより膂力で押し切るもの。もちろん頭で考えられないわけではない。でなければ万騎長になどなっていない。だがクバードにしてみればちまちま考えるのは些か面倒、それだけのことだった。
シャプールは少し考えて、手に持った槍をそのまま構えた。刃引きされた武器相手に真剣で挑むべきか否か、それを持つ人物の戦い方と力量を天秤にかけたのだろう。
いつの間にか、円を描くように周りから遠巻きにされていた。
こりゃあ丁度いい。哄笑して練兵場の中心に足を向ける。近づくなよ、死んでも知らんぞ、と新入りの兵士を揶揄うクバード。死なないとは思うが当たりそうだったら避けてくれ、と的外れな無理難題を言うシャプール。
ふたりが足を止め、しばしの緘黙。敷石が割れそうな踏み込みは同時だった。
「おぬしは——のとき——しがちだ。その癖を改めるべきだろう」
結局手合わせはシャプールがやや優勢、という程度で決定的な勝敗はつかなかった。
「だいたい、あの状況で突っ込んでくるやつがあるか。見ろ、この疵を」
文句を言うシャプールの顔をまともに見られない。
そんな癖が自身にあることを、クバードは初めて知ったのだ。自分よりも癖を把握している他人がいるというのは、変な心地がした。それだけ観取されていた、ということなのだから。

朝の、ふしぎに清潔な明るさがふと消え失せ、目の前に広がっていたのは夕暮れ。
灯された篝火が風に揺らいで、伸びた影を不規則に変形させる。影はふたつだ。クバードのものと、イスファーンのもの。
「これは、あの時の疵だな」
クバードの言葉にびくりと肩をすくめるイスファーン。槍を押し付けてきた張本人のくせに、何をびびっているのだか。

中庭を眺めながら一杯やっていたクバードに声をかけたのが目の前の人物だった。あ、と声を上げて、——おそらく此処で出会うのは予想外だったのだろう——「少し待っていてください」それだけを言い残して踵を返したのだ。挨拶も前置きも用件も無く、要求だけを置いていった彼を、しかしクバードは叱る気になれなかった。それがどうしてなのか、意識して深く考えないように、酒瓶を煽って腹の底に押し込んだ。
やがて戻ってきたイスファーンが携えていたのは一本の長槍だった。
違和感を覚えないことに違和感を覚えた。
それは、青年の持ち物ではない。それをクバードはよく知っている。それなのに、彼がそれを持つのが当然のように、見覚えがある。
その槍の持ち方。握る位置や柄の角度。青年の輪郭が朧げににじんで、見知った人の姿を浮かび上がらせる。
今更ながらおぬしの癖をひとつ知ってしまった。瞑目して、胸中にてつぶやく。
歩を緩めたイスファーンは、口を何度か開け閉めして、結局無言のままクバードの前に立った。握りしめたそれを、顔を俯かせたまま押しつけられる。
クバードが握るには細い柄だった。絡まりのない飾り房、そこから下に目をやれば見覚えのある疵が縦に入っている。
「これは、あの時の疵だな」
肩をすくませたイスファーンが、おそるおそる顔を上げた。
「クバード卿も、覚えておられるのですか」
「ああ、山を均した時のことだろう」
人柄というのは何も、本人との付き合いだけに表れるものではない、と手にした槍を見下ろしながらクバードは思った。
丁寧に手入れされ、保管されていたのだとよくわかる。それは武具や持ち物についてだけでなくて、例えば目の前の人物だとか。かつての彼の麾下だとか。
「ふふ、兄はそれが書簡の山のことだと気付いておられましたよ」
「なんだあいつ、おぬしに話したのか」
口を持たずとも物語るものがあり、人が語らずとも受け継がれるものがある。当人の語りえなかった物事をこそ、遺されたものが沈黙のうちに現出させてしまうのだろう。
誰が仕組んだのかは知らんが、酷いことをするよなぁ、まったく。

全軍の先頭に馬を立てているのは隻眼の武将だ。今まさに開戦直前、という雰囲気が漂うなか、その背はあまりにも悠然としている。
目を閉じて、ひとつ深く息をした。次に瞼を持ち上げた瞬間、ひやりと張り詰めた空気があたりを支配していた。
鞍上の武器を取る。誰もが見慣れたいつもの大剣ではない。丁寧に磨かれた石突、柄に縦に入った疵、葡萄色の飾り房。隣に控えた副官はちらりと目をやったが、わかってますよ、という顔をしてまた前を向いた。
この長槍は、幾度握りこもうともクバードの手に馴染まない長槍は、それが誰の持ち物であったかを明瞭すぎるほどに主張している。
誰も、何も言わない。このいくさに彼の人の得物をもって臨む理由など、皆痛いほど理解していた。

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