※謎設定
弓弦の音を聞いた気がして、反射的に槍を振った。視線を下げれば払い落とされた矢が一本。射出されたと思しき方にはひとりの男がいて、構えていた弓をおろすところだった。情報通りの容貌であることを確認して向き合う。向こうもこちらを敵と認識したようだ。
それはそうだろう。この足元の革袋。豪華に飾り付けられた木箱。入りきらずに零れ落ちた宝石。男が苦労してここまで運んできたであろう財宝たちに、手をつけようとしたのだから。
馬上のふたりは言葉を交わすことなく間合いをとる。鞍上にねかせてあった槍を手に取り構えながら慎重に手綱を操った。
「はっ」
どちらともなく号を発し、馬腹をきつく蹴って迫る。
己の全体重を乗せて振り下ろした先に、男の姿は無い。美しい顔に皮肉げな笑みを乗せたまま、馬の首に沿うように上体を伏せている。その右手に握られているのは槍。低いところから腋を狙って突き出された石突を跳ね上げて逸らし、そのままぐるりと勢いをつけ、こちらも石突を繰り出した。狙ったのは人ではなく馬の方だ。とたん手に伝わる凄まじい衝撃。
(弾かれた)
手の痺れを無視して槍を引き戻す。続けざまに頭を狙った穂先が連続して浴びせられた。いくつかを避け、いくつかを柄で受け流して、じっと反撃の隙を待つ。
軍師からは生かして捕らえよとの指示が下っていた。
(だが、これは──)
彼我の力量に差は殆どない。つまり、こちらからは致命傷を与えるような攻撃は制限されるのに対し、向こうは打つ手を選ぶ必要がないということだ。ひどく難しい試合運びを強いられるのは想像に容易い。単なる討伐よりも格段に難易度が高い。
(それだけ信を得ているのだと思えば嬉しくはあるが)
鐙から足を抜いて相手の馬を蹴ろうとしたが、察して距離を取られる。馬の扱いも上々。
内心ため息を吐いた。
(なんと難しい役を任されてしまったのだ)
第二ラウンド
馬首をめぐらせ、相手のやや斜め後ろにつく。左手を伸ばして相手の腰元の矢筒から一本拝借した。
(なるべくなら馬を傷つけたくなかったのだが)
鎧が絡むかと思われるほど馬をぐっと寄せ、至近距離から思い切り槍を薙いだ。上体を反らして相手が避けるが、この一撃は目眩しだ。その隙を狙って鏃を馬の脾あたりに振り下ろした。馬が痛みに驚き、甲高い嘶きと共に前脚を跳ねて立ち上がる。落馬して、あわよくば背中を打ちつけでもしてくれないかと思ったのだが、相手も巧者。優れた背筋で姿勢を整え、ほぼ真下から槍を投げてきた。打ち払った時には既に男は鞍上にない。受け身を取りながら距離を稼ぎ、身を起すと同時に弓には矢を番え終えている。
(なんという早業。おまけに判断が早い)
胸中で感嘆しながら槍を構え直した。馬を狙って次々に放たれる矢を払い落とす。まるで曲芸のように正確に狙い定めて打ち込まれる。
そこに、直接己を狙ったものが混ざっていたのに気づくのが遅すぎた。先ほどの意趣返しなのか、馬の脾あたりを狙ったそれを払おうと伸ばした腕に次の矢が掠める。上腕の肉を抉られる痛みに槍を握る手が緩んだ。その一瞬の隙を逃さず腰から剣を抜いて肉薄する男。
(馬は諦めるしかないようだな)
幸い地面は平ら。ほどほどに土が厚く、硬すぎない。柄を握り直した。
槍の穂先を地面に突き刺し、柄を両手で掴んだまま鐙を蹴って空中に身を躍らせる。槍のしなりを利用して地面に降りたてば、相手の顔に驚きの表情が浮かんでいて、すこし胸が晴れた。
脈動に合わせてジンジンと主張する痛みを無視して剣を抜く。
第三ラウンド
気づけばこちらの防戦一方になっていた。利き腕を怪我しているということもあったが、それよりも相手の砂か水のような、型にはまらない多様な剣捌きによるものが大きい。予想外の位置からすい、と湧くように現れる剣先が厄介だった。それをどうにか皮膚一枚の薄さで躱し、捌き、いなし、反撃の隙を待つ。が、細身に見えて存外体力もあるようで、相手の顔に未だ疲れは見えてこない。
(とはいえ、これはおれ一人の戦いではない)
慎重に足を運ぶ。視界の端に目印の岩を確認しつつ、じりじりと後退していく。
「っ!」
不意に、高さのある石につまづいて後ろに倒れ込んでしまう──ふりをした。そのまま剣も手放してしまう。好機とばかりに伸びてきた腕。それを空いた両手でとらえ、思いきり引き寄せる。初めて、相手の顔から余裕が消えた。口角がつりあがるのを自覚しながら、体勢の崩れた相手の腹に足を当て、転がる勢いのまま背後に投げ飛ばした。
男は猫のように空中で姿勢を整えたが、残念。着地の後すぐに飛びかかるつもりだったのだろうが、足は踏ん張る地面を捉えられずに落ちていく。投げ飛ばした先に、軍師お手製の落とし穴が掘られていたのだ。
どん、と鈍い音が僅かな振動とともに伝わる。
「…、はぁ……」
詰めていた息を深く吐き出す。
(こういう、神経の要る戦いは得意ではないのだが)
立ち上がり、投げ出した剣を拾い上げて落とし穴を覗き込む。
「生きてるか? おっと」
返答の代わりに、ビュッと音を立てて石が飛んできた。慌てて身を退け反らせたが、遅れて続いた前髪が一、二本宙を舞った。
(活きのいいことだ)
指笛を三度吹くと岩場に控えていた兵士たちが縄やら網やらを抱えて現れる。
軍師の指示のもとあれらを準備していた時はそんな大袈裟なと思ったが、あれくらい必要だと今なら思う。
「気を付けろよ、まだまだやる気のようだからな」
放浪してる楽士、すごい使い勝手良さそうだから捕まえて〜!ってナルサスに言われたイスくん、という謎設定で書いた戦闘描写練習短文です。特に続かない
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